動き出した憲法改正(中)

安倍晋三首相の「2020年」ビジョン表明に反発噴出…自民党の「怠慢」は変わるのか

 憲法施行時の首相、吉田茂(当時は日本自由党)は、9条改正が必要だと考えていた。吉田は主権回復後の昭和32年の著書で、こう記している。

 「どうしても不都合ならば適当の時期に再検討し、必要ならば改めればよい」

 自民党は30年11月の結党時、綱領に「現行憲法の自主的改正を図る」と明記した。しかし、改憲を目指して首相に就いた岸信介は35年、激しい反対運動に遭った日米安全保障条約の改定と引き換えに退陣を余儀なくされた。後継首相の池田勇人は「軽武装・経済成長優先」を掲げ、「在任中は改憲はしない」と明言した。

 以後、改憲議論をタブー視する空気が定着した。佐藤栄作政権の47年6月、党憲法調査会長の稲葉修は、当面の自衛力の保持などを盛り込んだ憲法改正大綱草案を策定したが、党内で議論されることはなかった。

 稲葉は法相だった49年12月、衆院法務委員会で「自民党員は綱領に準則して努力すべきだ」と訴えた。だが、50年5月の法務委で社会党議員にこの発言を問われた首相、三木武夫は逆に、こんな答弁をした。

 「(稲葉が)内閣の方針に反して憲法改正をやろうというような考え方は持っていないと、私は信じて疑わない」

会員限定記事会員サービス詳細