自慢させろ わが高校

山口県立下関西高校(下)「アーチ」「赤フン」伝統の体育大会

昨年の体育大会で、北部チームが披露した応援合戦の様子
昨年の体育大会で、北部チームが披露した応援合戦の様子

 ■東西南北 地域で競う

 巨大な旗が校庭に並び、赤いふんどし一丁の男子生徒が、お笑い芸人、小島よしおさんのネタ「そんなの関係ねぇ」を絶叫した。かと思えば、思い思いの衣装の生徒が、一糸乱れぬ応援合戦を繰り広げる-。

 毎年9月に開かれる体育大会は、見どころがぎっしりと詰まっている。少なくとも半世紀以上続く伝統だという。

 赤フンの正体は、その年の生徒会長だ。大会当日の昼、校庭の真ん中に立ち、マイクパフォーマンスを繰り広げる。誕生したきっかけや経緯は一切不明だが、「何をやるんだ?」と生徒の期待を集める。

 今年の生徒会長、西島維希さん(17)の出番も、4カ月後に迫ってきた。「赤フンをやりたくて、生徒会長になった面もある。今からどんなことをするか考え、わくわくしています」

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 下関西高の体育大会は、独特だ。生徒は学年やクラスには関係なく、住所別に東西南北の4チームに分かれる。

 チームの象徴である旗は「アーチ」と呼ばれる。昨年は縦5メートル、横3メートルの巨大な布に、玄武、朱雀、白虎、青龍-と、それぞれの方角をつかさどる「四神」が描かれた。

 「地区ごとに先輩から受け継ぐ衣装や踊りがある。伝統が最も息づく行事だといえます」

 社会科教諭、国弘泰生氏(57)=55期=は、自身も生徒として体験した体育大会について説明した。

 なぜ旗なのに「アーチ」と呼ぶのか。平成5年度に刊行された同窓会誌をひもといた。

 昭和20年前後の大会で、生徒が近くの山から杉の木を取って、地区別の入場門を作ったのが始まりという。門だから「アーチ」というわけだ。

 門はいつしか絵に変わった。最盛期には鉄パイプでやぐらのような骨組みを作り、5×10メートルほどの巨大な絵を描いたという。昭和51年、やぐらが強風で倒れた。あまりに危険ということで、現在の旗に落ち着いた。

 世界のホームラン王、王貞治氏や宇宙戦艦ヤマト、ビートルズなど、毎年、その時代を映し出す絵が描かれた。

 合成繊維ロープ製造業、伊藤製綱の伊藤雅彦社長(43)=69期=は、同級生が描いた絵を今も覚えている。画家、ヒロ・ヤマガタ氏の絵を模した風景画だった。

 「描いたのは芸術学部志望で、美術のセンスで一目置かれている生徒だった」

 下関西高校の体育大会は、運動が得意な生徒だけでなく、絵が得意な生徒にとっても晴れ舞台となっている。さまざまな生徒が個性を発揮する、同高ならではの伝統といえるだろう。

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 アーチを背にしたチーム対抗の応援合戦も、大会の目玉だ。応援団を中心に、約200人のチームのメンバー全員で、ダンスパフォーマンスなどを競う。

 伊藤氏は「北部」チームの応援団長を務めた。

 ♪おーおー 北部北部 輝く英知

 先輩から伝わる応援歌を大声で歌った。さらに、こちらも先輩から引き継いだ「大根踊り」を披露した。オールバックに髪をなでつけ、はかまと下駄(げた)姿。大根と扇子を手に、踊ったという。

 「なぜか北部は田舎気質で、泥臭いイメージだった。他チームはおしゃれなダンスを踊っていたけれど、徹底的に硬派路線を突き詰めてやろうと思った」

 日清紡ホールディングスの河田正也社長(65)=48期=も、北部チームだった。

 「北部の生徒は、山を越えて通学していた。それが足腰の鍛錬になった。体育大会の一番の思い出は、医師になった同級生の家に20人くらいで押しかけ、打ち上げパーティーを盛大にやったこと。お母さんは、おもてなしで大変だっただろうな」

 伝統の体育大会だが、途絶えてしまった行事もある。

 かつては、大会後にアーチを校庭の真ん中で燃やすのが恒例だった。

 昭和30年ごろ、生徒から「ファイアストームをやって、連帯感を高めたい」との声が上がり、始まったという。

 NPO法人山口県防災・砂防ボランティア協会の判野充昌理事長(75)=37期=は、こう語った。

 「校歌を大声で歌いながら、火の周りで肩を組んだ。受験勉強のストレスとか、大人への不満とか、有り余るエネルギーを発散する場だったんでしょうね」

 現在は、ファイアストームは行っていない。

 だが、校庭の中心を少し掘ると黒いススが出る。歴代生徒のエネルギーは、学舎の下に脈付いている。(山口支局 大森貴弘)

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