▼絶海と禁忌が守り続けたのは、神国思想の足跡かもしれない。昭和29年から46年にかけての調査で発掘された4〜9世紀の舶載品や遺構は、航路の安全を願う国家的祭祀(さいし)の変遷などを物語って、貴重だという。沖ノ島が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録される運びとなった。
▼島は海路の要衝であり防壁でもあった。元寇では神風が蒙古軍を本土から遠ざけ、司馬も描いた日露戦争では、連合艦隊がロシア艦隊を退けた日本海海戦も同島の近海を舞台とした。今日の繁栄は「神宿る島」のご加護でもあろう。
▼余談ながら宗像大社の手水(ちょうず)鉢には「洗心」と刻まれている。沖ノ島の調査を主導した出光興産創業者、出光佐三の揮毫(きごう)である。自らの足跡をたたえた記念碑建立の話を蹴り、ひそかに手跡を残したらしい。そんな先人の陰徳にも光が当たるといい。