産経抄

元寇、日露戦争…日本に加護与えた「神宿る島」、世界文化遺産登録へ 5月7日

 洋上から望むこの島は、司馬遼太郎の目に「巨大な岩礁」と見えた。切り立つ崖は岩肌を真下の海に落とし、周囲にひらめく白い潮(うしお)は、島がよって立つ絶海を難所に変えた。九州本土からは約60キロ、玄界灘に浮かぶ沖ノ島(福岡県宗像市)である。

 ▼日本から遠く朝鮮半島や大陸を目指した先人にとり、島から先の無事は神頼みだったろう。福岡県出身の作家で写真家、藤原新也さんが書いている。「とりつく島もない、茫洋(ぼうよう)とした海の彼方に現れたとりつく島であり、すなわちそれは神そのものなのである」(小学館『神の島 沖ノ島』)。

 ▼またの名を「不言島(おいわずじま)」とも呼ぶ。島での見聞は口外無用、一木一草の持ち出しもならない。不浄の持ち込みもご法度で、上陸の際は裸体を海で清めるという。宗像大社の「沖津宮(おきつみや)」として島そのものが崇拝されてきた神体島である。

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