歴史インサイド

千年の都・京都は城の宝庫だった 信長、秀吉、家康…最新の調査成果とは

寺院や民間整備も合わせると倍増!?

 信長や秀吉によって天下が治まると、秀吉は巨大な土塁と堀などで洛中を取り囲む御土居(おどい)を築造。洛中に「聚楽第(じゅらくだい)」を築いた。その後、洛外の伏見に幅数十メートル〜100メートル以上の堀や天守を備えたこれまでにない巨大な城郭を完成させる。これが「伏見城」だ。

 伏見城については、秀吉が最初に築いた「指月(しづき)城」は遺構も少なく長らく幻の城とされてきたが、27、28年の調査で当時の石垣が出土するなど、冊子ではここ数年のめざましい発掘調査の成果も紹介されている。

 特に、文禄5(1596)年閏(うるう)7月に発生した慶長大地震で天守などが倒壊した後に城を近くの木幡山に移したのに伴い、その地が大名屋敷へと変遷していく様子も、地層断面の図や写真をまじえて説明されている。

 これらの城を築いた秀吉の亡き後、権力を引き継いだ徳川家康が、今に残る「二条城」を築く。まさに次から次へと城が誕生している。

 冊子によると、遺跡地図に平成28年3月現在で登録される京都市内の平城跡は71件。山城跡は41件で史跡は1件とし、戦国時代に山科本願寺などの寺院や上京・下京の町衆らが設けた防御用の堀なども含めると、数はその倍にふくれあがるとしている。

 日本の城郭に詳しい千田嘉博・奈良大教授は「全国各地に城跡はあるが、京都は周囲の山に数多くの山城が築かれただけでなく、寺院や町衆が身を守るために自ら堀をめぐらせており、他にはみられない、ならではのもの。まさに京都は城や城跡の宝庫だといえるだろう」と評価する。