話の肖像画

前衛芸術家・篠原有司男(2) モヒカンでメディアの寵児に

 〈退学となった翌年の昭和33年に「週刊サンケイ」で「ロカビリー画家」との見出しで紹介され、一躍注目を集めた。ヘアスタイルはモヒカン刈り。パンクという言葉が生まれるよりも前の時代。当時26歳だった〉

 就職というのは僕の頭にはなかった。会社員は無理。僕は通用しないよ。無気力でアルバイトもしなかったから、絵の具も買えなかった。モヒカン刈りは、当時、ハリウッド映画「モヒカン族の最後」を見ていたので、そのヘアスタイルをまねてみよう、と。頭をそうしたらアートになると考えたんだ。カミソリで自分で剃(そ)って自分の頭を造形したわけで、僕自身が作品となった。

 いくつか新聞社を回って売り込んだが、相手にされなかった。電車賃もなくなり、東京・銀座にあった「週刊サンケイ」の編集部にいた親類に金を借りに行った。その人が頭を見て「すごい」とデスクに紹介してくれた。僕は、自宅のすぐそばの空き地で竹などを寄せ集めた作品をライブで制作してみせた。それがきっかけで雑誌のグラビアなどで取り上げられるようになり、名前を知られるようになった。(聞き手 渋沢和彦)