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肺がんが進行してね。医者からも「もうあきらめて下さい」と言われてたんですよ。昨年2月頃は髪も抜けてユル・ブリンナーそのものですよ。酸素ボンベがないと3歩歩くだけでハアハアと息が続かない。
そこで「五輪事業というのが、いかに大変なものかを後世に伝えねば」と思ったんだ。後で「あいつ何してたんだ」と言われるのも嫌だしね。ありのままを書いておかなきゃいかんと。だから当初のタイトルは「遺言」だったんですよ。
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五輪っていうのは誰もが知っているが、実は誰も分かっていないんだな。
国際社会を相手に事業を取りまとめていくのが大会組織委なんだけど、出向社員・職員ばかりなわけよ。私が会長就任当初は、大多数が「いつ古巣へ戻れるか」という感じで心ここにあらず。セクショナリズムもすごくてトイレに行ってもあいさつもしない。
これをどう一つにまとめていくか。私の日当を積み立てて盆暮れに懇親会を開いたりして少しずつ人間関係を作っていった。そしてようやくみんなが心から「五輪をやろう」というところにまできたんです。