話の肖像画

中国人風刺漫画家・辣椒(2) 少年時代に見た理不尽さが原動力

1989年6月4日に起きた天安門事件をモチーフに中国共産党の強権に立ち向かう自身(トウガラシ)を描いた風刺マンガ
1989年6月4日に起きた天安門事件をモチーフに中国共産党の強権に立ち向かう自身(トウガラシ)を描いた風刺マンガ

 〈少年時代は新疆ウイグル自治区、上海、河北省など中国各地を転々とした〉

 河北省出身の父親と上海市出身の母親は、「少数民族地域の支援」を掲げる中国共産党の指示で下放された先の新疆で出会いました。私が生まれたのは甘粛省に隣接する村です。数十キロ離れたところに軍の核実験を行う場所がありました。父親から聞いた話ですが、核実験を行った後、実験で使用した機材や衣服などを地下に埋めて、軍人が別の場所に引っ越すと、汚染されていることを知らない農民がそれを掘り出しに行ったそうです。その服を着て機材を使って家具を作ったりしましたが、しばらくたつと次々とがんになって死んでいったのです。

 子供の頃はこの話を聞いて、「かわいそうな人たち」としか思いませんでしたが、今から思えば、危険品のずさんな処理や、周辺住民に説明しなかったことは、共産党政権が国民の命を軽んじていることを象徴する出来事だったと感じています。

 その後、母親の実家の上海に預けられ、両親と離れて暮らすようになりましたが、上海の戸籍を持っていないことなどを理由に差別され、いじめられました。それに耐えられなくなり、中学の時に家出をしたんです。1人で1千キロ以上旅して、父親の実家の河北省に行きました。少年時代、中国の下層社会で生活し、理不尽なことをたくさん見てきました。それがのちに風刺マンガを書く原動力の一つになったのです。

 〈2010年頃から風刺マンガを描き始めた。間もなくして治安当局に目をつけられた〉

 河北省の美術を専攻する専門学校に進み、卒業後は広告の設計やデザイナーなどの仕事をしていたのですが、政治や国際情勢の話題が好きで、関連書物などをよく読んでいました。文章を書くことはあまり得意ではないのですが、絵を描くことは昔から好きでした。

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