オリンピズム

1972札幌(10)札幌を救った「世界で最も悪質なスキーヤー」と酷評された選手のフェアプレー

アマチュア規定に違反したとして札幌五輪出場資格を失ったシュランツ。失格が決まった当日も練習を続けていた=昭和47年1月31日、恵庭岳滑降競技場
アマチュア規定に違反したとして札幌五輪出場資格を失ったシュランツ。失格が決まった当日も練習を続けていた=昭和47年1月31日、恵庭岳滑降競技場

 戦うことを許されず、札幌を去った選手がいた。アルペンスキー男子の金メダル最有力候補だったオーストリアのカール・シュランツは、札幌冬季五輪が開幕する3日前、国際オリンピック委員会(IOC)によって「失格」を言い渡された。

 「名前と写真を広告に利用させたことが五輪憲章のアマチュア規定に違反する」というのがその理由だった。IOCから五輪出場資格を奪われたのは、冬季、夏季を通じてシュランツが初めてだった。

 雪を求めて年間11カ月も家を空けるスキー選手にとって企業の援助やスキー教室は生活の糧。しかし、「ミスターアマチュア」と呼ばれたIOC会長、アベリー・ブランデージは認めず、40人以上の黒いリストを作って五輪から締め出すと息巻いた。

 ブランデージは建設会社を経営する富裕層。父親を9歳で亡くしたシュランツの境遇などには関心がない。現実を無視したアマチュア精神の強要にスポーツ界も反感を強めていた。当時のサンケイ新聞は、そんなブランデージを「がんこ一徹ブじいさん」と揶揄(やゆ)した。

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