憲法学者ら209人に聞き、122人が回答した。安保法案が「憲法違反」と答えた人が104人。自衛隊については「憲法違反」が50人、「違反の可能性」が27人だった。
筆者は疑問に思うのだが、自衛隊が「違反」「違反の可能性」と答えた学者たちは、では自衛隊を廃止せよと、今も訴えているのだろうか。安保法案が違憲だと訴えるなら、その前に自衛隊の違憲性を正すことが道理のはずではないか。
しかし自衛隊員が命をかけて日本を守ってくれているのが、この国の現実である。隊員の真心に応えるならば、現在の条文では違憲と読まざるをえない憲法を改正せよとこそ、訴えるべきではないのか。
ここに法曹界の左傾の病根が、顔をのぞかせている。まず現行憲法ありきなのであって、現実に即して憲法を考える姿勢がない。北朝鮮のミサイルの脅威も、国民を守っている自衛隊の存在も、彼らの眼中にあるとは思えない。
ある社会集団を制約する思想や信条の体系をイデオロギーと呼ぶならば、ここにあるのは「憲法イデオロギー」とでも呼ぶべきものだ。現行憲法が無批判の大前提となり、さまざまな判断を制限してしまっているのである。
◆日本にふさわしい憲法を
この左傾は、どこに由来するのだろう。
筆者は単純に考えている。最高法規たる戦後憲法そのものが、左に偏ってしまっているからである。
社会のなにものかを保守する立場を右、否定し革新する立場を左と図式的に見るとしよう。戦後アメリカが作った憲法は、左に軸足を置いている。9条は、国権、交戦権という国家の権利の否定である。主権の一部を否定することで憲法は、日本を革新しようとしたといってよい。
そのような新憲法が広く受け入れられたのは、戦争への反動もあっただろう。しかし月日がたち、日本を取り巻く安全保障環境は格段に悪くなっている。
さらに日本の場合やっかいなのは、戦後を覆った容共的な思潮が、憲法と同調していった点である。