拉致40年 家族の慟哭(4)

「不思議な力で歯車がかみ合った」…局面を打開した少女の存在

【拉致40年 家族の慟哭(4)】「不思議な力で歯車がかみ合った」…局面を打開した少女の存在
【拉致40年 家族の慟哭(4)】「不思議な力で歯車がかみ合った」…局面を打開した少女の存在
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 「昭和53年以来の一連のアベック行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます」。63年3月26日、国会で国家公安委員長の梶山静六はこう述べた。政府が北朝鮮の日本人拉致に初めて言及した歴史的瞬間だ。

 共産党の橋本敦の質問を練り上げたのは秘書、兵本達吉(79)。62年の大韓航空機爆破事件をきっかけに、産経新聞が55年に報じた3アベック失踪事件を知った。独自調査の中で北朝鮮の関与を確信していた。

 「政府は驚くほど踏み込んできた」。答弁は予測を超えていた。外務相の宇野宗佑は「許しがたい人道上の問題。強い憤りを覚える」。法務相の林田悠紀夫が「主権を侵害する重大事件」と続き、警察庁警備局長の城内康光も「既に捜査を行っている」と述べた。

 兵本は「これで動く」と確信したが、答弁の報道は産経新聞と日経新聞のベタ記事だけ。3アベック失踪を報じた産経新聞の阿部雅美(68)は後日、答弁を知った。「確かに想像を超える事実だったかもしれないが、これだけ明確な政府見解を報じなかったのはメディアの汚点」と怒る。

 兵本はこれ以前に、団結して救出運動を進めようと家族に提案していた。だが家族は疲れ果て「泣きの涙だった」。兵本の叱咤(しった)激励にも一様に否定的だった。

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