早わかり上皇

上皇5人時代に天皇に再登板した上皇、過去の上皇の実情は…

第193通常国会の開会式でお言葉を述べられる天皇陛下。ご譲位後の称号は「上皇」が有力となっている=1月20日午後、参院本会議場(酒巻俊介撮影)
第193通常国会の開会式でお言葉を述べられる天皇陛下。ご譲位後の称号は「上皇」が有力となっている=1月20日午後、参院本会議場(酒巻俊介撮影)

 天皇陛下の譲位への対応などを検討する政府の有識者会議が再開され、前回会合で実施された専門家へのヒアリングでは、天皇陛下の譲位後の称号について「太上(だいじょう、だじょう)天皇(上皇)」を支持する声が相次いだ。過去には、上皇5人時代があったり、天皇に再登板する上皇がいたり、そのあり方は多種多様だ。上皇の歴史を振り返ってみたい。

 上皇とは、太上天皇の略称で、歴史上、譲位した天皇に贈られてきた称号だ。このほか「院」という称号を使ったり、上皇が出家した場合は「法皇」とも呼ばれた。

 史上初めて譲位したのは第35代の女帝・皇極(こうぎょく)天皇だが、このときはまだ上皇の称号は存在せず、天皇の母を意味する「皇祖母尊(すめみおやのみこと)」の尊称が贈られた。8世紀初頭の「大宝律令」に「太上天皇、譲位の帝に称する所」と定められ、第41代持統(じとう)天皇を上皇と称したのがはじまりだ。

 では、どのような上皇が存在したのか。

 まず、事実上、初の上皇となった皇極天皇は、「大化の改新」(645年)を成功させるために弟の孝徳(こうとく)天皇に位を譲り、蘇我氏討伐の環境整備を水面下で進めていた言われている。天皇でいると何かと動きが縛られるからだ。表舞台から退いた後、息子で後の天智(てんじ)天皇となる中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)らとともに外交儀式の最中に蘇我氏を急襲するという大胆な方法で改革を成し遂げた。

会員限定記事会員サービス詳細