上田市中心街で今年、開館100周年を迎える老舗映画館「上田映劇」が4月15日、平成23年に終えた定期上映を6年ぶりに復活させる。全国有数のロケ地である「映画の街」上田のシンボル、核として劇場を再興したいと願う地元や映画、芸能など各界関係者たちの熱意が、原動力となった。その銀幕が往年の輝きを取り戻すまでには課題も残るが、大きな期待と夢を背負うカチンコが高らかに鳴らされる。(高木桂一)
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◆「何としても残したい」
建物には、「あさくさ雷門ホール」の看板が掲げてある。昭和40年前の浅草にタイムスリップした芸人たちの泣き笑いを描いた映画「青天の霹靂(へきれき)」(平成26年公開)のロケに使われたものだ。タレント・劇団ひとりさん(40)の原作、監督による同作品がこの地で撮影されたことに感謝し、今もそのまま残す。
上田映劇は大正6年、芝居小屋「末広座」があった地に演劇場の「上田劇場」として開館し、昭和に入って映画館となった。1スクリーン、270席で、大正12年の関東大震災で焼け落ちる前の旧帝国劇場(東京都)と同じ天井をはじめ建物は創業当時のままだ。
昭和30〜40年代の全盛期は年中無休の2、3本立てで毎週新作を上映し、切符を求める客で長蛇の列ができるほどの活況を呈した。
しかし世の趨勢(すうせい)には抗(あらが)えない。テレビやビデオ・DVDの普及で客足は漸次(ぜんじ)遠のいたうえ、デジタル上映方式への対応も資金的にままならなかった。そして平成23年4月に市内に複合映画館(シネコン)が誕生したのを機に定期上映の幕を下ろした。館主の駒崎勉さん(56)=上田市=の苦渋の決断だった。
「祖父の代から続く映画館を潰すわけにはいかない。歴史的価値のある建物を何としても残したい」
◆「劇場みんな」で地方再生
市民らに長らく愛されてきた「まちの映画館」はその後、映画の自主上映や落語、芝居、講演など幅広く使えるイベントスペースに変わった。駒崎さんはアルバイトをしながら年間200万円に及ぶ維持費を捻出してきた。もうけはない。
雨漏りする屋根や色が剥げ落ちた天井の改修は待ったなしだが、1千万円以上かかる。駒崎さんは「施設を消滅させないために定期上映を復活させて地域に欠かせない魅力ある文化拠点にする。保存するだけでは意味がない」と思い立った。
同志たる応援団もついた。旧知の地元や映画界などの有志約10人が昨秋「上田映劇再起動準備委員会」を結成し、戦略を練ってきた。そして映画「サムライフ」の原作者で団体理事長の長岡秀貴さん(43)=上田市=らが立ち上げるNPO法人と手を携え、上田映劇を映画館としてよみがえらせるプロジェクトの始動にこぎつけた。駒崎さんは前を見据える。
「『劇場ひとり』でやってきたが、多くの人の力を借りて『劇場みんな』になった。シネコンとは違う地域の娯楽の核となり、観光や産業の拠点として地方再生の切り札になれれば…」
こけら落としとなる4月15日の上映作品は、一つの映画制作に関わるいくつもの人生を描いた「ゾウを撫(な)でる」。翌16日には、佐々部清監督(59)と上田市出身の出演女優、月影瞳さん(46)の舞台あいさつも予定される。
しかし改修資金調達や継続的な集客確保など課題もあり、手探りの再出発となる。長岡さんは「映画館は地域や社会の資源であり、特に上田映劇は新しいまちづくりの中核として残すべき歴史的建造物だ。多くの市民らと共同で、再起動を軌道に乗せたい」と力を込めた。