都市を生きる建築(91)

「都市に住もう」大阪に生まれた新しい町屋…都住創スパイヤー

【都市を生きる建築(91)】「都市に住もう」大阪に生まれた新しい町屋…都住創スパイヤー
【都市を生きる建築(91)】「都市に住もう」大阪に生まれた新しい町屋…都住創スパイヤー
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 「都市に住もう」と呼びかけたのは、1987(昭和62)年に大阪市中央区に完成した都住創スパイヤーの設計者の一人、中筋修だ。すぐにこれは「実は奇妙な呼びかけ」だと続け、「都市というものは本来そこに人が住み、働き、かつ遊ぶ所であったのだから」と記している。

 ビルが完成した当時の大阪市中央区の人口は約6万人。1960年頃は13万人だったから、最盛期に比べて住民が半数以下に減ったことになる。その後、1990年代半ばに5万人強まで減少。現在は約9万5千人に回復している。

 このような劇的な変化は、高度成長期を通じた都市の変貌の象徴だ。かつてのように商売を営む町屋の上階で家族が暮らす光景が少なくなり、働く場所と住む場所が分かれていった。都心はオフィスビルが建設され、郊外には団地や分譲住宅が立ち並ぶようになった。

 生き生きとした暮らしの場としての都市というイメージが最も薄まった1970〜80年代に、「都住創」は敢然と「都市に住もう」と主張した。名称は「都市住宅を自分達の手で創る会」の略。「自分達の手で」、すなわち複数の人間が集まり、それぞれの自分らしさを実現させる共同住宅をつくるところに大きな特徴がある。

 具体的には、通常の集合住宅のように設計ができあがってから分譲するのではなく、そこに住みたいと思う人間が共同で土地を購入。資金分担に応じて、それぞれが何階のどこにどのような住まいをつくるかを話し合いながら決め、完成後の建物の維持管理も自分たちで行う。コーポラティブ方式と呼ばれるやり方だ。