これまで最大の日向灘地震は江戸時代初期の1662年に発生。水没した集落の名から「外所(とんどころ)地震」と呼ばれる。この地域は50年ごとに供養塔をもうけ、戒めとしている。宮崎市の「一葉(ひとつば)稲荷神社」には「津波に襲われた集落(神社)を白ウサギが波をけって守った」という伝承があり、木彫りの装飾や開運守りにその様子が描かれている。
日向灘地震をめぐっては、南海トラフ地震の発生間隔に影響を与えるという研究もある。実際、1944年の東南海、46年の南海地震の前の41年に日向灘地震が起きた。これら東南海・南海地震は1854年の安政地震の90年後であり、安政以前の発生間隔が100年以上であったことをみれば短い。
熊本地震が日向灘地震に影響するのではないかとみて観測を強化した地震研究者グループもあり、日向灘の地震活動に注目することは、南海トラフ地震に備えるひとつの指標になるといえるかもしれない。