6年がたった。
何年たとうが、鎮魂の念を持ち続けたい。
犠牲になるいわれの何もなかった人々である。その遺志を継ぎ、東日本大震災で被害を受けた東北に尽くすことは、私たちの責務にほかならない。
同時に、時間の経過とともに復興の進み方に差が生じていることに、注意を払いたい。
新しい家に入った人がいる。一方で、岩手、宮城、福島の3県では2月末現在、それぞれ1万人以上の人がなお、応急仮設住宅での暮らしを余儀なくされている。
広い被災地の各地で、異なる現実がある。実情に合わせた支援が必要なのは、いうまでもない。
見えにくくなる心の傷
物的な復興ばかりではない。
ある現実を報告したい。
2月末、平日の午前中。福島県内の仮設住宅から、50代の男性がふらつきながら出てきた。
朝から飲酒していた。被災者を支援する集いに連れて行こうと、「相馬広域こころのケアセンターなごみ」の職員が肩を支えた。
午後、改めて訪ねた。布団は敷いたままで汚れ、床に菓子パンが無造作に置いてあった。男性は、東京電力福島第1原発事故で避難指示が出た飯舘村から家族で仮設に入った。父親は震災の約1年後に病死したという。