平成30年史 大震災の時代(3)

「復興タウン」の輝きが消える日 人口減少率37%の女川町 奥尻と同じ道をたどるのか

 人口減は税収減に直結し、町財政を圧迫する。町も「人口が減っている状況で、震災前と同じ水準の税収は見込めない」と危機感を隠さない。

 このまま人口が減り続けたら。

 モダンでしゃれた「ゴーストタウン」が誕生する近未来が現実味を帯び始めている。

■ ■ ■

 東日本大震災の被災地、宮城県女川町の行く末を占う。「大震災の時代」といえる平成期は、同時に復興の時代でもある。

 北海道奥尻島の青苗漁港。肌を突き刺す強烈な寒風が吹き付ける港に沿って、コンクリート製の巨大な丸テーブルを連ねたような建造物がある。

 高さ6・2メートルの避難施設「望(ぼう)海(かい)橋(きょう)」だ。全島民の約9割に当たる約2300人が津波から避難できる。だが、避難路には立ち入り禁止の柵がある。老朽化による補修工事中だという。

 元奥尻町総務課長の竹田彰氏(63)が言う。

 「海外の視察団の人から『この大きさは必要か』と聞かれた。今の避難タワーのような簡易施設は当時はなかった。同じ物はこれが最後になるでしょう」

 島は平成5年、北海道南西沖地震で最大約30メートルの津波に襲われた。死者・行方不明者198人と被害は甚大だったが、わずか5年後に「復興宣言」を打ち出した。

会員限定記事会員サービス詳細