平成30年史 大震災の時代(3)

「復興タウン」の輝きが消える日 人口減少率37%の女川町 奥尻と同じ道をたどるのか

【平成30年史 大震災の時代(3)】「復興タウン」の輝きが消える日 人口減少率37%の女川町 奥尻と同じ道をたどるのか
【平成30年史 大震災の時代(3)】「復興タウン」の輝きが消える日 人口減少率37%の女川町 奥尻と同じ道をたどるのか
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 「建築界のノーベル賞」プリツカー賞を受賞した建築家、坂茂氏がデザインした真新しいJR女川駅(宮城県女川町)に降り立つと、正面の海に向かってレンガ敷きの道がまっすぐに延びる。両脇にはウッド調で統一された建物が並ぶ。

 商店街「シーパルピア女川」。コーヒー店やダイビングショップなど、27店が軒を連ねる。

 休日は家族連れやカップルでにぎわう。駐車場は地元、首都圏ナンバーの車で満杯になる。一角にある物産センター「地元市場ハマテラス」は魚料理を目当てに来た客で席が埋まる。

 女川町は東日本大震災の津波で被害を受けた。死者・行方不明者827人。被災度別の分類で最も重大な「全滅型」に入る。

 シーパルピアは復興の象徴として平成27年12月にオープンした。事業費約6億4千万円が投じられている。

 レンガ道からは海が見通せる。視線を遮る高い防潮堤はない。遮蔽(しゃへい)物は女川港の湾口に設けた防波堤に限られる。水面からの高さも干潮時で最大5・3メートルにとどまる。

 復興計画で町は海と遮断しないまちづくりを選んだ。他の被災市町村が巨大防潮堤の建設に走る中、独自路線を歩む。

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