北朝鮮の金正日総書記(1941〜2011年)の長男・金正男氏がマレーシアのクアラルンプール国際空港で暗殺されたテロは、120年の時をさかのぼり、とある悲運の朝鮮人を現代に蘇らせた。
金玉均(1851〜94年)
異国の地で、回転式拳銃で暗殺された後、胴体を川に棄てられ、首/片手・片足/残りの手足を、それぞれ自国の別々の地でさらされた。遺体を斬刑に処すのは朝鮮の伝統だ。
李氏朝鮮(1392〜1910年)末期、王朝内の守旧派にとって、清国からの完全独立や、大日本帝國が成し遂げた明治維新を範とし朝鮮近代化を目指す金玉均は、目障りこの上ない存在であった。金玉均は日本の立憲君主制をお手本としたが、北朝鮮の「世襲制度」を批判した金正男氏と重なる部分を認める。
金正男氏暗殺以降、安全保障・公安関係者と接触すると、金玉均の話が結構持ち上がる。古今の朝鮮が墨守する恐怖政治の「国柄」にもがき、祖国の守旧派ににらまれた末の悲劇…など、「二人の金」の運命を見つめ直すと、情勢分析の一助になるためだ。
「ひょっとしたら、金正男氏の遺体が北朝鮮に引き取られていたら斬刑に処され、さらされたのでは」と観測する関係者もいた。しかし、最も注目すべきは、金玉均暗殺が《明治二十七八年戦役=日清戦争/1894〜95年》の導火線の一つとなった史実。
折しも、韓国は朴槿恵大統領のスキャンダルで、乏しい統治機能が一層低下している。韓国の政治不安と金正男氏暗殺に、北朝鮮の兄弟国・中国がどう出るのかも、不透明だ。
何より、北朝鮮の核・大陸間弾道ミサイル(ICBM)の完成を待たず「攻勢」に移る-そんな観測も出始めた米トランプ政権と、体制引き締めに向け戦争を辞さない構えをチラつかせ、揚げ句、間合いを間違え戦争に突入する懸念が排除できない朝鮮労働党の金正恩委員長率いる北朝鮮指導部とのせめぎ合いの結末が気になる。
本年は、朝鮮戦争(1950年〜)が休戦中に過ぎぬ現実を、近年なかったほど自覚する年になるに違いない。