書評

大阪大学准教授・橋本順光が読む 『人種戦争という寓話 黄禍論とアジア主義』廣部泉著 大戦での政策 世論に影響された日本と冷静さ保った米国対比

『人種戦争という寓話 黄禍論とアジア主義』廣部泉著
『人種戦争という寓話 黄禍論とアジア主義』廣部泉著

 愛の反対は憎悪ではなく、無関心ともいう。かわいさ余って憎さ百倍、両者は簡単に反転するので、冷淡こそ正反対というわけだ。愛を1とすれば憎しみはマイナス1、無関心は0といえようか。そのため愛憎半ばする相手とは、気になるだけに中傷の応酬という袋小路に陥ることがある。フレンド(友)とエネミー(敵)の合成語フレネミーがそれだ。不信と嫉妬で結ばれたまま、相互に依存する両者は、しばしばうり二つとなる。

 本書が扱う黄禍論とアジア主義の関係も同じだ。19世紀末から、「黄色人種」が脅威を及ぼすという黄禍論が欧米で話題となった。対抗して「アジア人のためのアジア」を呼びかけるアジア主義が日本などで隆盛する。アジアの近代化は災禍ではなく「黄福」をもたらすとか、むしろ「黄金」の機会となるといった反論が生まれ、それがさらに紹介されて黄禍論の火に油を注いだのだ。同様に未来戦記やスパイ活劇が黄禍論小説として書かれ、敵味方を入れ替えて翻訳や翻案が英語・邦語で刊行された。一方、複雑な国際関係を、人種間の対立と戦争という枠組みに単純化する弊害も強固となる。

 アジア主義でも人種主義が強調され、たとえば徳富蘇峰は「藩閥」ならぬ「白閥」打破を唱えた。本書はそんな19世紀末から2つの大戦までの日米をとりまく国際関係の変化を、新聞雑誌の記事の博捜と外交文書の精査から描き出す。白眉は、相手の主張をお互いに報道して過熱する悪循環と、政策決定者の温度差を対置してみせた点だろう。排日移民法や満洲事変を経て、アジア主義的発想が徐々に日本の中枢に入り込んでいった一方、世論が声高に黄禍論を叫ぶアメリカ政府内では、戦略的な思考の方が支配的だったことを指摘するのである。

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