「王将」「矢切の渡し」など昭和を代表するヒット曲を生んだ作曲家で、16日に84歳で死去した船村徹さんの通夜が22日、東京都文京区の護国寺桂昌殿で営まれ、歌手の北島三郎さん(80)ら約1500人が弔問に訪れた。
船村さんは芸名「北島三郎」の名付けの親。「弟子代表」として焼香した北島さんは、公演先の秋田市に移動するため23日の葬儀・告別式には参列できず、師匠との別れの夜となった。
「棺の中の顔を見て『ありがとうございます』とお別れしてきました。さようならなんて言いたくはないけど、さようならと言ってきました」
報道陣の取材に応じた北島さんは、しみじみとした口調で別れの場面を語った。
「しゃべったら泣けちゃうから」と手紙を書いて船村さんの夫人に手渡した。
手紙には、「この世に生まれたからには、いつか旅立つときがくる。お別れはとてもつらくて悲しい。でも、教えを守って、これからもがんばります。おれもいつか旅立つでしょう。再び出会えたなら、また船村徹の弟子でありたい」などとしたためたという。
今年1月、船村さんの文化勲章受章の祝賀会で会った際は元気だったと振り返る。北島さんは「原譲二」のペンネームで作詞作曲も手がけているが、祝賀会の楽屋で船村さんから「このごろ良い曲を作っているな」とほめられた。