〈日曜日の朝、ジェット機を背景に優雅なテーマ曲が流れる。あこがれの世界の旅へと案内してくれるのは、この人の上品な日本語だった。番組が始まった昭和34(1959)年は、まだ日本人の海外旅行が自由化される前。庶民にとって外国は夢のまた夢、1ドル=360円の固定相場で、外貨の持ち出し制限があった時代だった〉
最初の取材地はローマ。香港で1泊し、プロペラ機で52時間かかりました。そこから約100日間、15カ国ぐらい回ったかしら。スタッフは私を入れて3人だけ(他にカメラマンとアシスタント)。イギリスの撮影クルーなんて十数人ですよ。だからこちらは1人で何役もしなくちゃなりません。プロデューサー、ディレクター、そして出演者…。日本に帰ったら編集作業やナレーションを入れる仕事が待っていますから徹夜の連続。それでもこの仕事が大好きでしたから、毎日が充実していました。
現地での取材は随分熱心にやりましたね。情報収集のコツはまず土地の飲み屋街へ行くこと。外国人の女(兼高)が来て珍しそうに見ていると、地元の人がごちそうしてくれたり、「家においで」って誘ってくれたりする。家の中を見ると、庶民の生活ぶりが分かるでしょう。ナレーション原稿まで私が書くようになったのは現場に立った者しか伝えられない光景があるからです。番組で紹介する細かな情報まで資料や本を読み、徹底して自分で調べました。
〈ケネディ米大統領(当時)、チャールズ英皇太子、スペインの画家ダリ、スウェーデンのテニス選手ボルグ…番組で会ったVIPは数知れず〉
どうやって会えたかって? それは企業秘密ですよ(笑)。ホワイトハウスでケネディ大統領に会ったのはちょうどキューバ危機(1962年10月)のときでした。彼らが徹夜でディスカッションしていたところへ私たちが入っていったのです。
ケネディ大統領は、当時のアメリカを象徴するイイ男。政治家としてじゃなく、一人の男としてみてもですよ。育ちがよくて、優しくて、人柄の良さで相手を安心させてくれるのです。当時のホワイトハウスのセキュリティーはそれほど厳しくなく、開放的でした。「自由に見ていいよ」って。
〈旅でもらったプレゼントもケタ違い。南太平洋の小島から石油の採掘権まで〉
島は千坪くらいかしら、私の名前(かおる)を付けてプレゼントしてくれたのです。ただし、建物も電気も水道もない無人島ですけどね(苦笑)。石油はアラブのスルタンが「どこを掘っても構わないよ」って。私に掘れるわけがありませんから、アメリカの知人に任せましたが、その後どうなったのかしら。驚いたのはアフリカで(プレゼントとして)「子供を授けて進ぜよう」と言われたとき。90歳ぐらいの王様でしたが、もちろん丁重にお断りしました。(聞き手 喜多由浩)
兼高かおる
かねたか・かおる 昭和3年、神戸市生まれ。米ロサンゼルス市立大学留学後、フリーランスのライターとして活躍。34年、テレビ番組「兼高かおる世界の旅」がスタート。プロデューサー・ディレクター・ナレーターを担当した番組は、平成2年まで約31年間続き、世界約150カ国を回る。2年に菊池寛賞、3年に紫綬褒章。新著は作家、曽野綾子さんとの対談集「わたくしたちの旅のかたち」(秀和システム)。