▼(2)新聞記者に問い詰められ、鉄道広報の経験あったからこそ…から続く
祖父、世耕弘一が創設者で、父の弘昭が3代目理事長、兄の弘成(現・経済産業大臣)も4代目理事長を務めた近畿大学で働くつもりは、もともとなかったことは前回にも触れました。
近大のことは、子供の頃から身近に見聞きしていて面白い大学だとは思っていましたが、珍しい名字のため周囲に息子や孫だとすぐバレてしまうので進学の対象でもありませんでした。大学は、同志社の内部進学という道を選びました。
さすがに父からは、「同じ関西の私大に行くなら近大に行け」と言われましたが、受験勉強などに無縁の高校生活を送っていたため近大の赤本(過去の入試問題集)をみたら全然理解できません。やむなく断念して「受験したら受からへん」と正直に話したら、父もようやく納得してくれました(笑)。それでも今となっては、近大とは別の大学をみることができたのは良い経験になったと思っています。
そんな近大を職場にすると決めたのは平成19(2007)年秋に近大関係者から誘われたのがきっかけです。たまたま入試広報担当のベテラン職員が定年を迎え、広報のプロを探していたという事情があったようです。
当時は近畿日本鉄道(現・近鉄グループホールディングス)の広報担当課長だったのですが、近鉄が大阪近鉄バファローズの統合など大規模な構造改革を断行していた時期に広報を担っていたため、リストラの広報が続いたことに鬱々と過ごしていました。