日本の源流を訪ねて

鏡山(佐賀県唐津市) 佐用姫、悲恋伝説の舞台

鏡山山頂にある松浦佐用姫の像
鏡山山頂にある松浦佐用姫の像

 悲恋の物語の舞台だ。朝鮮半島に派遣される将軍・大伴狭手彦(おおとものさてひこ)と、豪族の娘・佐用姫(さよひめ)は恋に落ち、やがて別れを余儀なくされる。姫は嘆きの余り、石と化す。

 玄界灘に着き出した東松浦半島は古代、日本と中国大陸・朝鮮半島を結ぶ海路の要衝だった。魏志倭人伝には「末盧國(まつらこく)」と記載される。邪馬台国の女王、卑弥呼が魏に送った使者、難升米(なしめ)や、「親魏倭王」の金印を携えた使者が通った。

 その後、近畿地方で大和王権が成立し、九州にも勢力を伸ばす。それでもこの地の、交通路としての地位は変わらなかった。

 第28代、宣化天皇の時代、半島南部にあった任那が新羅に侵攻された。任那と深い結びつきがあった大和は、救援のため狭手彦を派遣した。

 狭手彦は、渡海のため松浦に入った。そこで出会ったのが佐用姫だった。

 佐用姫は狭手彦の身の回りの世話をした。2人は恋に落ち、夫婦の契りを結ぶ。しかし、狭手彦は出陣しなければならない。

 出航の日、狭手彦は「これを私と思って待っていてほしい」と銅鏡を佐用姫に手渡す。

 佐用姫は玄界灘を見下ろす鏡山(標高284メートル)に登り、狭手彦が率いる軍船に対し、衣服の袖につけていた「領巾(ひれ)」を振って見送った。鏡山は「領巾振山(ひれふりやま)」と呼ばれるようになった。

 遠つ人 松浦佐用姫 夫恋(つまごい)に 領巾ふりしより 負へる山の名

 万葉集には、大伴旅人が詠んだとされる歌がある。

 それでも別れがたかった。佐用姫は山を下り、海岸伝いに船影を追う。やがて、東松浦半島北端の「呼子(よぶこ)の浦」に着いた。

 海岸から大声で狭手彦の名を呼ぶものの、船は遠ざかっていく。佐用姫はさらに、対岸の加部島に渡り、天童岳(標高112メートル)に登った。山頂から呼びかけるが、船に届くことはない。

 眼前から船が消えると、佐用姫は悲しみにくれ、7日7晩泣き続ける。涙もかれ、ついに石と化した。「望夫石」と呼ばれる石は現在、田島神社(唐津市呼子町)の本殿床下に祭られる。

 同様の伝説は大陸にもある。北部九州と大陸の交流をうかがわせる。

 また、伝説には別のパターンもある。

 奈良時代に編纂(へんさん)された「肥前風土記」では佐用姫ではなく弟日姫子(おとひひめこ)という名前の女性が主人公だ。姫は狭手彦と別れたあと、容貌が似た男に求婚される。

 狭手彦の面影を追った姫だったが、男は蛇の化身で、姫は沼に引きずり込まれ、死んでしまうというストーリーだ。

 この悲恋をモチーフに後の世、世阿弥が「松浦佐用姫」という能の曲目を作った。今も演じられている。 

(九州総局 中村雅和)

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【用語解説】鏡山

 佐賀県唐津市鏡。JR筑肥線、虹ノ松原駅から南に車で約15分。唐津大手口バスセンターから、昭和バス宇木・半田行きに乗車し、鏡山入口下車。展望テラスからは唐津市街や唐津湾、虹の松原が一望できる。問い合わせは唐津市まちづくり課公園管理係(電)0955・72・9250。

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