入門・日米戦争どっちが悪い(9)

押し付けられた日本国憲法 GHQの社会主義者が9日間で作る

1946(昭和21)年2月4日、ケーディスら急遽集められたGHQのメンバー25人に憲法の専門家は一人もいませんでした。例えば、ベアテ・シロタという22歳のユダヤ系ウクライナ人女性(終戦直前に米国籍取得)は、5歳から15歳まで東京に住んでいたため、日本語力を買われてGHQで通訳兼アシスタントを務めていたというだけの経歴でした。

シロタは著書『1945年のクリスマス 日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝』で、他国に憲法を押し付けるという行為を悪びれることなく回想しています。

シロタによると、このときホイットニーはマッカーサーノートを読み上げた後、自分たちの案を日本政府が受け入れない場合は「力を用いると言って脅すだけではなくて、力を用いてもよいという権限をマッカーサー元帥から得ている」と、軍事力を使ってでも憲法を押し付けると宣言しました。さらにこう述べました。

「出来上がった文書は、日本側からマッカーサー元帥に承認を求めて提出されることになる。そして、マッカーサー元帥は、この憲法を日本政府が作ったものとして認め、全世界に公表するであろう」

シロタは「簡単に言えば、出来のわるい生徒の試験答案を先生が書いて、それを口を拭って生徒が書いたとして提出して及第点を貰おうというようなものだ」と表現し、「でも、そんなことは十分あり得る状況に、当時の日本は置かれていた」と書いています。

憲法について「ハイスクールの社会科で習った程度の知識しかない」と認めながら、「どうしよう! でもチャンスだわ!」と軽いノリで参加します。まずやったのは、日比谷図書館や東大などでアメリカ独立宣言や合衆国憲法など各国の憲法を集めることでした。GHQが東京の図書館で米国の憲法を探したのです。まるでコメディーです。

それらの資料を読んだシロタは「ワイマール憲法とソビエト憲法は私を夢中にさせた」「ソビエトの憲法は…社会主義が目指すあらゆる理想が組み込まれていた」と目を輝かせます。

GHQには社会主義的な民政局のほかに参謀2部という反共の勢力があり、民政局の動きを監視していました。部長のチャールズ・ウィロビーは著書に、諜報部門がシロタを調査した秘密文書を載せています。そこにはシロタの日本への憎悪が指摘され、ソ連との関係が強く示唆されています。

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