入門・日米戦争どっちが悪い(9)

押し付けられた日本国憲法 GHQの社会主義者が9日間で作る

外相官邸跡地に建つ「日本国憲法草案審議の地」の碑。実際には「審議」ではなく恫喝による押し付けだった=東京・六本木(渡辺浩撮影)
外相官邸跡地に建つ「日本国憲法草案審議の地」の碑。実際には「審議」ではなく恫喝による押し付けだった=東京・六本木(渡辺浩撮影)

「戦争犯罪人」の逮捕が行われていた1945(昭和20)年10月11日、連合国軍総司令部(GHQ)の最高司令官ダグラス・マッカーサーは首相の幣原喜重郎に対して憲法改正を指示しました。政府は国務大臣の松本烝治が中心となって大日本帝国憲法を大幅に修正した改正案(松本乙案)などを作りましたが、マッカーサーは拒否して自分たちで憲法を作ると言いました。

「ソ連憲法は私を夢中にさせた」

わが国は伊藤博文らが苦心して作った大日本帝国憲法の下、当時としては先進的な立憲君主制国家でした。ポツダム宣言も「民主主義的傾向ノ復活強化」と、わが国に民主主義があることを前提にしていました。しかし米国にとっては「民主主義対ファシズムの戦い」としてたたき潰したわが国にもともと民主主義があったという事実は都合が悪く、自分たちによって民主主義国家にしたことにしなくてはなりませんでした。

マッカーサーはマッカーサーノートと呼ばれる憲法改正の原則をGHQ民政局長の陸軍准将コートニー・ホイットニーに提示しました。ホイットニーはこれを基にした憲法改正草案の作成を課長(後に次長)の陸軍大佐チャールズ・ケーディスに指示しました。

ソ連への協力者やニューディーラーと呼ばれる社会主義者が入り込んでいた米国民主党政権ですが、GHQ民政局は特にそうした傾向の人物で占められ、ケーディスはその代表格でした。彼らは自分の国で実現できない社会主義的な政策を他国の憲法を変えることで実験したのです。

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