台湾の国連残留、最後まで尽力 中国の抱き込み工作も記録 ニクソン・ショックに揺れた佐藤栄作政権 楠田實・元首席秘書官の資料まとまる

 昭和46年7月15日、ニクソン米大統領が当時国交のない中華人民共和国(中国)を訪問すると宣言した「ニクソン・ショック」は、世界の秩序を一変させる電撃的な発表だった。ニクソン政権は中国との交渉を同盟国である日本政府にも秘して進めていただけに、「楠田實資料」からは、頭越しの米中接近で受けた衝撃が生々しく伝わってくる。

 その一つが牛場信彦駐米大使と、極秘に訪中し交渉してきたキッシンジャー大統領補佐官のやり取りに表れている。

 「日本に与えたショックは承知しており、極めて遺憾に思っている」

 同23日、キッシンジャー氏は牛場氏と会談し、率直にわびた。牛場氏が懸念していたのは、米国が中国と外交関係を樹立する代わりに、中華民国(台湾)を見捨てることだった。キッシンジャー氏は「ニクソン訪中の結果として国府(台湾)との断交に進むことは絶対にない」と断言した。

 ただ、国連の中国代表権問題をめぐっては、国連加盟国間で中国支持が強まり、46年秋の国連総会では、中国の国連参加と台湾の国連追放が焦点となっていた。ニクソン訪中はこうした国際情勢で突如、発表され、台湾はさらに不利な状況に置かれていった。

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