話の肖像画

華道家・假屋崎省吾(3)「急逝した父へのわび状として、母への感謝を込めて土いじり」

家族そろって埼玉県の所沢航空記念公園で。撮影好きの父親が写った数少ない1枚
家族そろって埼玉県の所沢航空記念公園で。撮影好きの父親が写った数少ない1枚

 志望大学に入れなかった私は、花の品種改良を研究する道から哲学や歴史に方向転換しましたが、思うような大学生活ではありません。別の大学に入り直しましたが、やはり同じことでした。

 〈いけばなに出合い、表現する喜びを知る〉

 大学2年のとき、何げなくテレビを見ていたら、いけばなが取り上げられていました。花をすごくしゃれた雰囲気で飾ってね。大切に育てた花で部屋を彩るというのが何かすごく新鮮。これだと思いました。いけばな教室をいくつも調べ、自由に表現させてくれる場所を慎重に選び、入門しました。

 発想や構成を褒められるのがうれしく、人がしなかったことにも大胆に挑戦しながら、どんどん世界が広がっていきました。内に向かっていたものを外に出して表現する楽しさを知ったのです。

 ところが入門から1年ほどすると、父が病気で急逝してしまいます。明日から年末年始のお休みという夜でした。東京の中央区に勤める公務員として、都市計画を担当していた父は真面目一徹。その一方で給料は生活を楽しむためにあると考え、価値のあることには惜しみなくお金を使う父でした。私は素晴らしい家族に囲まれて育ったと思います。

 〈アルバイト生活の中、初個展で注目を集める〉

 一家の大黒柱になろうと、大学卒業後はアパレルメーカーに勤めました。何事も経験と前向きに考えて頑張ったのですが、やはりまだ人と接するのは苦手なのです。そして、自分が求めているものではないという気持ちが、とめどなくあふれてくる。会社は3カ月で辞めました。

 ファストフードやスーパーでアルバイトを始め、いけばな教室の手伝いをしました。1つ年下の妹は既に嫁ぎ、私と2人暮らしの母は、父が残してくれたもので家計をやりくりしてました。私は自分の稼ぎのほとんどを花のために費やしていたのです。

 入門してすぐの頃から、銀座や神田など東京都内にある現代美術の画廊をめぐる日々になります。いけばなを空間全体を使って表現できないかと思いをめぐらせ、個展を開きたいと強く考えるようになっていきました。貯金はままならず、いけばなは絵画や彫刻と違い、展示を作品として売ることもできません。実現まで何十年もかかるように思えました。

 「ああ、個展がしたいな」。ため息のような独り言を耳にした母は「これを使いなさい」と、まとまったお金を手渡してくれました。老後のために取っておくべき蓄えです。すぐに分かりました。申し訳ない顔をすると、母は「今しなければどうするの」って。それは大切なことのためにはお金を惜しまなかった父の考えにも通じていました。

 入門4年目の昭和62年に開いた初個展では、土をテーマにしました。現代アートのようだと美術誌が評価してくれました。個展を重ねるうちに、「土の作家」と認知され、そこからディスプレー、空間デザインなどの仕事に次々とつながっていきました。

 父との関係は土いじりから始まっています。そして何のお返しもできないまま、父はいなくなってしまいました。人は生きて土に返る。土は輪廻(りんね)転生にもつながります。土は命と美を育みます。私は父へのわび状として、母への感謝を込めて土に向かいました。土は私の一生のテーマとなっています。(聞き手 谷口康雄)