国民党軍はたまらず、帝國陸海軍に対抗すべく《第二次国共合作/1937年》を成立させる、過ちを犯した。帝國陸海軍が与えた国民党軍の損害以上に、国民党軍が与えた共産党軍への損害は存亡を左右するほど壊滅的だったからだ。「共産党の謀略」に乗せられ、蒋介石は拉致され、まんまと国共合作を呑まされた。
国民党の軍費・弾薬援助も手伝い、共産党軍は蘇生。逆に国民(党)政府は合作後も、主要都市を次々に帝國陸軍に占領されていく。毛沢東は帝國陸軍が国民政府の首都・南京を陥落させると祝杯の大酒をあおり、大はしゃぎしている。
「共産党の謀略」は、国民政府支配下の主要都市が陥落を重ねる中、毛沢東が1938年に主張した《持久戦論》に色濃くにじむ。しかも、共産党系軍が最後まで日本に勝てなかった動かぬ証拠まで歴史に刻んだ。持久戦論は以下の前提に立つ。
《日本は軍事・経済力ともに東洋一で、中国は速戦速勝できない。だが、日本は国土が小さく、人口も少なく、資源も乏しい。寡兵をもって、広大な中国で大兵力に挑んでいる。一部の大都市/幹線道路を占領しうるに過ぎず、長期戦には耐えられぬ。敵後方で遊撃戦を展開し、内部崩壊を促せば、最後に勝利する》
持久戦論によると、戦争は3つの段階を踏む。
(1)敵の戦略的進攻⇔自軍の戦略的防御(1937〜38年)
(2)彼我の戦略的対峙 敵の守勢⇔自軍の反攻準備期間(1938〜43年)
(3)自軍の戦略的反攻⇒敵の戦略的退却⇒殲滅(1943〜45年)