共産党軍の役どころは、国民党軍の矛先を帝國陸海軍に向けること。この陰謀の悪臭がプンプンする「汚れたフンドシ戦略」を練ったのは、初代国家主席・毛沢東(1893〜1976年)だった。毛沢東の発言録や戦略論は既に世界中に出回っており、中国共産党お得意の粉飾・ねつ造は本来なら不可能。現代の中国共産党が「抗日戦勝利」を主張する度に、毛があの世よりさまよい出て、真実を公表してしまう。
ロクに戦っていないのに「日本に勝った」と、国内外に言いふらしてもいるが、まさか「相撲」なので「不戦勝がある」などと開き直りもできまい。歴史を「洗浄」しても、歴史にこびりついた臭いは消えないのだ。それにしても、「戦勝国」が自国に有利な歴史を創った先例はままあるが、「傍観国」のケースは寡聞にして知らない。
1万2500キロを逃げまくった共産党軍の健脚
柳条湖事件が満州事変へとつながると、国民党軍総司令官・蒋介石(1887〜1975年)は共産党を「内憂」、帝國陸海軍を「外患」とみなし、共産党を排除した後、帝國陸海軍に対処する《安内攘外》戦略を樹立。国民党軍は共産党軍を潰走させた。共産党軍は《長征》と呼ぶが、中国大陸を西へ北へとグルグルグルグル、2年もの間、1万2500キロを逃げまくった健脚には驚嘆する。
その後も、国民党軍が共産党軍に軍事的勝利を収め続けたが、帝國陸海軍との戦闘が本格化(=支那事変)すると、国民党軍は深刻な損害を被った。