入門・日米戦争どっちが悪い(8)

野蛮な復讐劇だった東京裁判 原爆など米ソの戦争犯罪は不問に

東京裁判の判決言い渡しを聞く東条英機元首相(前列左)ら被告=昭和23年11月10日、東京・市ケ谷の旧陸軍省大講堂
東京裁判の判決言い渡しを聞く東条英機元首相(前列左)ら被告=昭和23年11月10日、東京・市ケ谷の旧陸軍省大講堂

わが国が和平の仲介を依頼していたソ連は日ソ中立条約を破り、1945(昭和20)年8月9日に突如として満州に侵攻。南樺太や朝鮮にも攻め込み、婦女子への暴行など暴虐の限りを尽くしました(ソ連の対日侵攻)。

昭和天皇のご聖断により、わが国はポツダム宣言を受け入れ、15日に発表し、戦闘を停止しました。ところがソ連はその後も満州、南樺太、朝鮮で戦闘を続け、18日には千島列島への侵攻を開始。一度も他国の領土になったことがない北方領土まで不法占拠しました。

ソ連は満州にいた多くの日本軍将兵をシベリアなどに強制連行し、過酷な寒さや労働で約1割を死亡させました(シベリア抑留)。これは「日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ…」と定めたポツダム宣言や戦時国際法に違反しています。抑留者の数は厚生労働省推計で約57万5000人とされていますが、70万、100万、200万などの説があります。

黒船と同じ場所にミズーリ号

9月2日、東京湾の米戦艦ミズーリの上で降伏文書調印式が行われました。そこには2つの古い星条旗が掲げられていました。一つは真珠湾攻撃のときにホワイトハウスに掲げられていた星が48個の旗。もう一つはマシュー・ペリーが来航したときに黒船にひるがえっていた星が31個の旗で、アナポリスの海軍兵学校からわざわざ運ばせました。ミズーリ号の停泊場所も黒船と同じ場所にしました。90年越しの日本征服を誇示したのです。

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