【田淵幸一物語(14)】「トレードなら引退」掛布は決意していた(1/2ページ) - 産経ニュース

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田淵幸一物語(14)

「トレードなら引退」掛布は決意していた

 その時の心境を田淵はこう語った。

 「オレの次は掛布が出される。そう思うと電話をかけずにはいられなかった」

 深夜のトレード通告の翌日、昭和53年11月16日に田淵は掛布に電話をかけた。

 『カケよ、お前はオレや江夏のように、途中で縦じまのユニホームを脱ぐような野球はするな。約束だぞ』。短い言葉だったが、掛布の心に深く刻み込まれた。

 田淵が「阪神」を去った54年、掛布は打率3割2分7厘、95打点、48ホーマーの好成績を残し初の「本塁打王」に輝いた。だが、翌55年にアクシデントに見舞われた。

 開幕8試合目の4月18日、甲子園球場での巨人1回戦。六回、一塁走者だった掛布は続くラインバックの中前安打で二塁に疾走した。ベースを回ったところでコーチから「ストップ!」の声。あわててブレーキをかけ二塁に戻ろうとしたときだ、左膝に激痛が走った。「半月板損傷」の重傷。2週間の絶対安静、1カ月以上のリハビリ。なんとかシーズン中に戦列に戻ったものの出場は70試合、11本塁打の不本意な成績に終わった。

 その年のオフのことだ。12月13日に某スポーツ紙が『掛布、門田トレード!』と報じたのだ。もちろん即日、阪神、南海両球団は「そんな事実はない」と否定会見を行った。だが、同紙には南海OBの大御所、鶴岡一人が評論家として所属しており、ニュースの信憑(しんぴょう)性は決して低くはなかった。 

 「実はねあの時、もし、球団から移籍の話があったら、引退しようと決意していたんだ」と後年、掛布は告白した。

 「田淵さんから言われたあの言葉。約束を果たせないからね。それに、たった1回の怪我でボクを放出する球団の思い通りにはさせるか!という気持ちもあった」