関西の議論

「高田屋嘉兵衛」肖像画、神戸大空襲生還劇-空中で弾ける焼夷弾、水をかぶり風呂敷背負って火の海の街逃げ回り…

花火のようだった…神戸大空襲、無我夢中で逃げ回り

 昭和20年3月17日、神戸市兵庫区に住んでいた松井さん一家を米軍機の爆撃が襲った。神戸大空襲だ。肖像画だけでなく、一家に命の危険が迫った。

 神戸は昭和17年にも空襲があったが、本格的ではなかったといい、松井さんは「今回も大したことはないだろう」と思い込んでいた。しかし予想は甘かった。町は炎に包まれた。

 「避難しろ」。父は、当時16歳だった松井さんに、母と妹ら3人を連れて避難するよう命じた。さらに「大切なものだから焼いてはならない」と嘉兵衛の肖像画も託した。町内会長をしていた父は避難せずに消火活動のために留まった。

 松井さんは水をかぶり、風呂敷に肖像画を包んで背負い、妹らの手を引いて神戸の街を逃げた。空襲は未明に始まったが、松井さんは夜中だったと記憶している。「焼夷弾か何かが空中で破裂し、ばらまかれた。花火のようだった」と振り返る。

 炎が迫っていない比較的広い道路を進んだ。家族が離ればなれにならないよう、走っては止まるを繰り返した。火災から逃れようと、大勢の人が集まっていた運河を通過し、さらに逃げ回った。やがて大きな鉄筋コンクリート製の建物を見つけ、中に入った。しかし「爆弾が天井を突き破って落ちてきたら…」と不安に思い再び逃走を続けた。

 時折、道に横たわる黒い物体を見かけた。「木が折れ曲がっていたのか、手や足を曲げていた遺体だったのか…。見分けがつかなかった」。

 全て燃え尽き、燃えるものがなくなった港に逃げ込んで一息つくことができた。数時間後には自宅に帰ることができた。家族は奇跡的に全員無事でけがもなかった。2軒あった自宅のうち、1軒は運良く焼け残った。「嘉兵衛が守ってくれたのではないか」。

会員限定記事会員サービス詳細