鹿間孝一のなにわ逍遙

阪神大震災から22年で思い出す3人

【鹿間孝一のなにわ逍遙】阪神大震災から22年で思い出す3人
【鹿間孝一のなにわ逍遙】阪神大震災から22年で思い出す3人
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 阪神大震災から22年になる。毎年「1・17」がめぐってくると、「あの日」に引き戻される感覚を覚える。

 「天災は忘れたころにやって来る」で知られる寺田寅彦は、「きのうあった事はきょうあり、きょうあった事はまたあすもありうるであろう」という警句も残した。

 忘れてはならないのだ。思い出すのではなく、つい「きのう」の事(こと)として。

 昨年、震災時に大きな役割を果たした3人の方々が亡くなった。

 被災地の避難所の入り口に、赤い縁取りをした貼り紙がずらりと並んだのを覚えている人も多いだろう。

 「私はここにいます」「We are Here」と書かれ、その下が伝言欄になっていた。

 当時、大手広告代理店の博報堂関西支社長代理だった岩崎富士男さんらのアイデアだった。

 阪神大震災は戦後最大の自然災害だった。体験したことのない惨状を目の当たりにして、「広告会社として何ができるか」を考えた。

 「水や食料は誰かが運ぶ。我々はコミュニケーションの専門家だ」

 思いついたのが伝言カードだった。「とにかく見てもらうことが必要」と、目立つように縁を赤枠にした。名前、居場所・連絡先の欄と、ちょっとしたメモを書き込める欄を設けた。そして、自費で約60万枚を刷って、市役所や避難所に持ち込んだ

 伝言カードで離ればなれになった家族と再会できたり、友人、知人の安否を確認した人も多い。

 岩崎さんらは「会社のPRに利用したくない」と名乗らなかったが、13年後に日本災害情報学会の会報で明らかにされた。

 自民党総務会長、労相、総務庁長官などを務めた小里貞利さんは、阪神大震災から3日後、震災対策担当相に任命された。

 すぐに現地へ飛んだ。未曽有の災害を目の当たりにして、「これは命がけでやらないといかん」と身震いしたという。