【石野伸子の読み直し浪花女】野坂昭如のウソとマコト(1)ジブリのアニメ『火垂るの墓』餓死した妹「嘘…重荷、実録で書けない」(1/4ページ) - 産経ニュース

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野坂昭如のウソとマコト(1)ジブリのアニメ『火垂るの墓』餓死した妹「嘘…重荷、実録で書けない」

 野坂昭如(のさか・あきゆき)が亡くなって1年余り。時代を駆け抜けた異才をしのぶ声は根強い。

 作家という枠にはとうてい収まらない人物だった。CMソングの作詞をはじめとしてコント作家、テレビの台本などさまざまな仕事を経験した後、昭和38(1963)年に「エロ事師たち」を発表、昭和43(1968)年「火垂るの墓」と「アメリカひじき」で直木賞を受賞し、作家としての地位を確保した。

 しかしその後は歌手、CMタレントとして活躍するかと思えば、「四畳半襖の下張」裁判で被告人として法廷に立ち、政治家をめざして参院選に当選した。もっとも半年足らずで田中角栄批判をして議員辞職、衆院選で新潟三区から出馬して落選した。平成15(2003)年には脳梗塞で倒れるがリハビリにはげみ、創作活動を続けた。平成27(2015)年12月9日、85歳で死去。

 多くの人々の心に残る作品というとやはり「火垂るの墓」ではないだろうか。自身の戦災体験に基づいた代表作。同名のアニメ作品とともに繰り返し語られている。

 焼跡闇市派作家を決定づけた作品。本人もまた、この言葉に固執した。その野坂は終戦後の文字通りの焼跡闇市時代、大阪の守口で過ごしている。昭和20(1945)年夏から22年末までの2年余り。しかし、長くこの時期については「実録風に語るのは辛い」と口をつぐんでいた。なぜなのか。野坂昭如のウソとマコトが交錯する大阪時代を切り口に、異才の世界をたどっていこう。

 野坂昭如は昭和20(1945)年6月5日、神戸大空襲で神戸市灘区の自宅を焼け出された。14歳だった。妹とともにツテを頼って西宮市の夙川に身を寄せ、野宿に近い体験もした。妹は餓死。その体験を元に書いたのが「火垂るの墓」だ。

 昭和42年、雑誌「オール読物」に発表され直木賞を受賞。昭和63(1988)年にはアニメ映画「火垂るの墓」(高畑勲監督)となり、広く愛される作品になったのはご存じの通りだ。