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■伝承に彩られた「一矢必中」
戦国武将、刀剣、城郭・城跡など歴史への関心が広がり、歴史上のドラマや遺構が地域の独自性アピールにも活用されている。戦国武将に比べて知名度は低いが、平安時代以降、栃木県内にルーツを持つ多くの坂東武士が台頭、武士の時代を彩る立役者となっていく。新連載「坂東武士の系譜」で中世までのスーパースターや周辺人物の肖像を追う。第1部「勃興の時代」では下野を中心とした東国で武士が台頭する平安時代中期から、ついに武家政権が確立する鎌倉幕府成立までを見る。プロローグでは彼らが活躍した合戦にスポットを当て、坂東武士の歴史から栃木の誇りを再発見する。
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ひょうとうなりを立て、鏑矢(かぶらや)は真っすぐ飛んでいった。船上の扇は空に舞い上がった後、春風に一もみ二もみもまれて海面に落ちた。
「南無八幡大菩薩、わが国の神々、日光権現、宇都宮、那須温泉大明神…」。神々に念じて那須与一宗隆は十分に弓を引き絞り、放った矢は見事、揺れる船上の扇を射落とした。「平家物語」の名場面「扇の的」で描かれた与一の活躍である。
■神ってる「扇の的」
源平合戦が大詰めを迎えていた。1185(元暦2)年2月18日夕、屋島の戦いの最中、海上の平家軍の小舟に美しく着飾った女性が立ち、先端に日の丸を描いた扇を付けた竿(さお)が立てられている。「この扇を射落としてみよ」という挑発だ。