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「興行としては大失敗…」燃える闘魂・猪木、伝説のアリ戦「振り返りたくもない思い出」となぜか苦悩の表情の理由

「プロレス外交で世界の壁を取っ払いたい」と意欲を見せる猪木さん=東京都内
「プロレス外交で世界の壁を取っ払いたい」と意欲を見せる猪木さん=東京都内

今から40年前。1976(昭和51)年6月26日、プロレスラー、アントニオ猪木と、プロボクシング世界ヘビー級チャンピオン、ムハマド・アリの異種格闘技戦が東京・日本武道館で行われた。日本のトップレスラーとザ・グレーテストの称号を持つ現役王者との世紀の一戦に世界が注目。米国などでのクローズドサーキット(劇場などでの有料中継)や約40カ国での衛星中継に合わせ日本時間正午前に試合開始。NET(現テレビ朝日)は同日昼と夜に2度放送する異例の中継体制で臨んだ。世紀の一戦の背景で2人は何を考えていたのだろうか? 猪木さんが40年前を振り返った。(戸津井康之)

「振り返りたくもない」

この一戦は後に総合格闘技の台頭など格闘技界の転換期になったと評価され、また、メディア界でも地上波から衛星放送の強化やクローズドサーキットへの対応など構造転換を図る契機になったとされる。

だが、戦った猪木さん本人は40年前を振り返りこんな言葉を口にした。「評価は後から人が下すもの。自分自身は振り返りたくもない、というのが本音です」。柔和な瞳の奧に苦悩がにじみ出るのはなぜか。

30万円の特別チケットは即時完売。国内中継は視聴率約40%を記録。世紀の一戦は大成功したか-に見えたが、「興行は失敗でした」と猪木さんは明かす。

《試合は3分15ラウンド。終始寝そべった状態でアリの足を蹴りで狙う猪木。パンチを出せず棒立ちのアリ…。激しい攻防を期待していた国内外メディアの批判は強く、またクローズドサーキットの収入も伸びず、猪木陣営はアリ側と契約した高額のファイトマネーの支払いができず、アリ側との訴訟合戦に翻弄されることになる》

「炎のファイター」プレゼント アリとの友情

「興行は失敗」と猪木さんは断じたが、一方でアリ氏との友情、絆は深まった。「訴訟和解の際、アリがある曲を私にプレゼントしてくれましてね」。この曲こそ猪木さんのリング入場時のテーマ曲「炎のファイター INOKI BOM-BA-YE」。アリのドキュメンタリー映画「アリ・ザ・グレーテスト」(1977年)の中で使われた挿入曲だ。

一部マスコミから「世紀の凡戦」と酷評される一方、格闘技関係者の多くが違う見方をしていた。

《当日の放送ではズームアップのカットが多用された。スライディングしながらアリの足を狙う猪木の鋭い蹴り、見る見るうちに腫れ上がるアリの足。苦痛にゆがむアリの表情、一発のパンチを警戒する緊張感に張り詰めた猪木の目…》

ルールの枠を超えた異種格闘技戦に秘めた未知の恐怖を武道館で、そしてテレビの前で世界中の視聴者が体感したのだ。

お互い「差別」乗り越え 同じ闘士の眼光

世界で名を馳(は)せたアリ氏だが、アマチュアボクサー時代、獲得した五輪金メダルを、米国内の飲食店で「黒人お断り」と追い出され、悔しさのあまり川へ投げ捨てた経験を持つ。試合前の記者会見で見せた相手をののしる派手なパフォーマンス、本名のカシアス・クレイからムハマド・アリへの改名、ベトナム戦争の兵役拒否など…。アリ氏はこれまで誰も成しえなかった独自の戦い方で、世界でボクシングの知名度、ボクサーの地位を高め、さらに黒人差別という壁を突き破り、その後の黒人スポーツ選手台頭の道を切り開いた先駆者だ。

一方、猪木さんは13歳で日本を離れ家族とブラジルへ移住。農園での労働は過酷を極めたという。そして、ブラジル遠征で訪れた力道山に見いだされ、日本に戻りプロレスラーとなる。「少年時代はブラジルで、また20歳で米国遠征に出たときも、海外ではずっと東洋人差別を感じてきました」と明かす。

前人未到の道を切り開きながら人種差別と戦い、ボクサーという枠を超えたアリ氏は、日本を飛び出し、プロレスを世界に広めようと戦い続けてきた猪木さんに同じ闘士の眼光を感じたはずだ。

“燃える闘魂”は永遠に

1990(平成2)年の湾岸危機の際、猪木さんはイラクに取り残された日本人を救出するために旅客機で救出に向うが、同時期、アリ氏も米国人救出のために尽力していた。また1995年、猪木さんが北朝鮮で開催した平和イベントを応援するため、平壌にアリ氏は駆けつけている。

ボクシング、プロレス界で頂点に立った2人は世紀の一戦後、それぞれ世界規模の平和活動に乗り出し、そこでも命懸けの壮絶な戦いを続けていたのだ。

2人が戦った40年後の6月、アリ氏は亡くなった。

政治家となった猪木さんは現在も壮大なプロレス外交を構想していた。

「マカオでプロレスイベントを開催したり、将来は中国全土を回るプロレス巡業も計画中です。そして長年、民族が分断されたままのインドとパキスタン国境でイベントを開催する準備もしています」

ザ・グレーテストを日本に呼んだ燃える闘魂は、73歳とは思えない情熱みなぎる眼光で熱くこう語った。「プロレス外交で、世界の政治や宗教の対立の壁を取っ払いたいんですよ」

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