日本の源流を訪ねて

旧志免鉱業所竪坑櫓(福岡県志免町)

福岡県志免町の顔、旧志免鉱業所の竪坑櫓=12月4日、福岡県志免町
福岡県志免町の顔、旧志免鉱業所の竪坑櫓=12月4日、福岡県志免町

 ■近代日本支えた12本の柱

 九州北部にはかつて、石炭の採掘所がいくつもあった。福岡県志免(しめ)町の小高い丘には、その一つ、糟屋(かずや)炭田の名残である巨大な竪坑(たてこう)櫓(高さ47・6メートル)がそびえる。存在感に圧倒された。

 地上9階、地下1階の鉄筋コンクリート造りだ。建物は東西15・3メートル、南北12・3メートルある。

 長年の風雨にさらされ、所々で鉄筋がむき出しになっている。櫓周囲は柵で囲まれており、近づけない。採炭で使われたトンネルの入り口(斜坑口)もあり、往時をしのばせる。

 周辺では、江戸時代から、小規模ながら石炭が採掘されていた。

 旧海軍は明治22(1889)年、戦艦などの燃料を求めて、志免鉱業所の前身である「新原採炭所」をつくった。39年には「海軍採炭所第五坑」として鉱区を広げた。

 その後、同採炭所は「海軍燃料廠(しょう)採炭部」と名前を変える。

 さきの大戦が始まると、日本のエネルギー不足は深刻になった。石炭増産の掛け声が高まり、より深い、地下600メートルの地層で採掘するようになった。

 昭和18年5月、竪坑櫓ができた。炭鉱作業員や掘った石炭を載せる昇降機(エレベーター)を設置するためだ。昇降機は地下430メートルまで垂直に掘られた「竪坑」を行き来する。作業員はそこから、石炭層に移動した。

 櫓は、建物下部よりも上部が張り出した構造で、「ワインディングタワータイプ」(塔櫓巻型(とうやぐらまきがた))と呼ばれる。櫓の最上階には、昇降機を巻き上げる機械が設置された。巻き上げは1千馬力のモーターを使い、休みなく稼働した。

 ドイツの最先端技術を採用した。着工から完成まで1年10カ月かかった。

 櫓の地上1〜5階部分は、12本の柱と、はりだけの構造になっている。

 志免町以外で同型の建物が現存しているのは、ベルギーのブレニーと、中国の撫順だけだ。

 終戦後は、国鉄の直営で、志免鉱業所として再出発し、蒸気機関車の燃料となる石炭を掘り続けた。

 昭和32年には21万トンを上回る採炭量があった。

 だが、エネルギーの主役が、石炭から石油に替わった。昭和39年、閉山とともに稼働停止した。

 機能的で無駄のない造形美が評価され、平成21年に重要文化財に指定された。

 町社会教育課の徳永博文課長補佐は「櫓は町のシンボルです。劣化状態をきちんと調査・把握し、保存方法を丁寧に探っていきたい」と語った。

 平成に入り、櫓の近くに大型商業施設ができた。買い物客で、櫓の往時を知る人は、ほとんどいない。

 櫓の向こうには、ボタ山が残る。山肌は草木に覆われ、一見、普通の山と変わりない。

 それでもこの場所は、近代日本を支えた場所の、一つに違いない。(九州総局 村上智博)

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 福岡県志免町志免451の1、町総合福祉施設「シーメイト」敷地内。同施設には、旧志免鉱業所で産出した石炭などが展示されている。櫓は12月23〜25日と31日の午後6〜11時にライトアップされる。福岡空港から車で約15分。問い合わせは志免町社会教育課(電)092・935・1419。