静岡 古城をゆく

葉梨の新野屋敷(藤枝市北方) 今川氏初期の駿河支配拠点

【静岡 古城をゆく】葉梨の新野屋敷(藤枝市北方) 今川氏初期の駿河支配拠点
【静岡 古城をゆく】葉梨の新野屋敷(藤枝市北方) 今川氏初期の駿河支配拠点
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 遠江国守護職だった今川範国は建武5(1338)年の美濃青野原合戦での戦功を受け、駿河国守護職に任じられたといわれてきた。しかし、近年の研究では、その前年の建武4年に足利尊氏から葉梨荘を給与されていたことが分かっており、この時点では既に駿河国守護職の地位にあった可能性が大きい。範国は建武5年、山城国御家人の松井兵庫允、八郎父子を同荘の地頭代に任命している。

 新東名高速道路藤枝パーキングエリア(PA)の北域が「葉梨荘」で、この地は今川氏が拠点を駿府に移すまで同氏による駿河支配の拠点であった。

 『駿河記』は同荘について「範国・範氏・泰範三代居住の地なり」と記す。『藤枝市史』も現在の北方・西方・中ノ郷・花倉・下之郷をその範囲に比定した上で、ここに今川氏初期の守護所と城下集落があったと指摘している。

 葉梨城(花倉城)を核とするこの地域には花倉の「今川氏館」をはじめ、「松井屋敷」「大楊屋敷」「矢部屋敷」など今川氏の家臣に関連する地名や、城下集落だったことを示す「殿ケ谷」「堀之内」「馬場」などの地名が数多く残されている。

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