映画深層

『幸福のスイッチ』から今年で10年 新人発掘の聖地「田辺・弁慶映画祭」に行ってみた

 「1カ月間、田辺でロケが行われたが、ミカンが終わったシーズンでもミカンがほしいということで針金でつるすなど、みんなで協力しました。安田監督をはじめ、スタッフやキャストとも懇意になって、毎晩のように飲み歩く関係もできたし、東京の初日にはラッピングをしたマイクロバスで乗り込んだほど。映画にかかわることの楽しさを教えてもらい、何とかこの楽しさを残したいという中から出てきたのが、映画祭の話だったんです」と、現在は田辺・弁慶映画祭実行委員会の副委員長を務める原さんは振り返る。

 つてを頼りに、「キネマ旬報」の元編集長で、現在は城西国際大学客員教授の掛尾良夫さんに相談。じゃあやろう、となったのが19年8月で、その年の11月には開催という慌ただしさだった。「コンペもやろうとなったが、当然、知名度もないので、最初は掛尾さんがあちこちに声をかけて作品を集めた。若い映画監督とともに成長する映画祭というのと、田辺で上映されない良質の作品を地元の人に楽しんでもらうという2本柱を掲げました」

夜な夜な横丁で映画論

 最初は地元の盛り上がりもすごかったが、原さんによると3回目で息切れしてしまう。若手監督もなかなか応募してこなかったが、真砂充敏市長が「せっかくここまでやったのだから続けよう」と支援を約束し、実行委員会も本気を出そうと決意。やがてスポンサーも充実し、作品の応募数も伸びていった。

 「受賞すれば東京や大阪の劇場で上映されるチャンスがあるというのが伝わっていったというのもある。弁慶映画祭出身の監督さんや映検審査員の方々もあちこちで田辺、田辺、と応援してくれて、徐々に広がってきたのかなと思います」