正論

漱石が仰ぐ「立憲君主制」の天皇 国民感情に乗じてはならない 東京大学名誉教授・平川祐弘

 平川家では親が買った文学全集を少年の私が納戸から引き出して読んだ。『夏目漱石集』は愛読したから本がぐにゃぐにゃだ。『吾輩は猫である』は繰り返し読むたびに面白い。繰り返し笑うところと、以前は気づかなかった新発見に驚くところがある。

 熊本時代の漱石は、作家活動はまだ念頭になく

 〈明天子上にある野の長閑(のどか)なる〉

 天下泰平で、自分も国民も

 〈行く年の左(さ)したる思慮もなかりけり〉

 という様(さま)であった。私もさしたる思慮もなく夏目漱石を読んできた。

 ≪胸に迫る明治天皇奉悼之辞≫

 それが今年の年末は皇室との関係が気になる。

 『こゝろ』では明治天皇の崩御と乃木大将の殉死を機に、作中人物の先生は「明治の精神」への殉死という形で自殺を決意する。だがその辺の必然性がどうもわからない。あれは頭で拵(こしら)えた物にちがいない。

 するとそんな小説より、文学外の漱石の方が興味を惹(ひ)く。まず漱石は手紙がいい。『漱石追想』(岩波文庫)に拾われた元生徒たちの言葉の数々もいい。政治家、鶴見祐輔は「一高の夏目先生」で「生徒の質問に対する返事が痛快であった。真地目(まじめ)な質問には、真地目に答えられた。拗(ひね)くった質問には、拗くって答えられた」と英文の実例まで添えている。

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