産経抄

今回の日露合意「火事場泥棒」より穏やかな言葉を探せない 12月17日

 歯舞群島の一つ、貝殻島と納沙布岬を隔てる海は4キロもない。かつて昆布漁でにぎわった島周辺は戦後、日本の漁船が旧ソ連に拿捕(だほ)される屈辱の海域となった。戦前戦後の政財界で名を成した高碕達之助が水産業者団体の会長として納沙布岬を訪ねたのは昭和34年、74歳の夏である。

 ▼目睫(もくしょう)の間の島影に涙した高碕は帰京後、「あと十年は生きねばならぬ仕事ができた」とたばこを絶っている。老翁の奔走が実り、島周辺での漁解禁の民間協定が結ばれたのは、その4年後だった。「文藝春秋」に載った氏の懐旧譚(たん)を作家の上坂冬子さんが『「北方領土」上陸記』の中で引いている。

 ▼『上陸記』には他にも骨太の闘士が出てくる。漁船で拿捕された男性は、旧ソ連の法廷で言った。「オラの海だ。何の文句がある」。国後島を追われた91歳の男性は、いまわの際に言った。「国後島に帰るから車を用意してくれ」。

 ▼信念に武装された言葉は、聞く者の胸を打つ。平均年齢は81歳を超えた。北方領土を追われた元島民である。望むのは経済協力による四島の発展でも自由な往来でもあるまい。「元気なうちに帰りたい」であろう。四島の返還を願う人々にとって、郷里と本土を隔てる海は「波いまだ高し」だろう。

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