ちなみにポーツマス条約のおかけでその領土からロシア国民を追放する権利もありました。40年後の1945年の戦争の後にソ連はサハリンを取り戻しただけでなく南クリル諸島も手に入れることができました。
昨日、非常に感動的な元島民の方々のお手紙を読ませていただきましたけれども、私たちの考えでは、このように領土をめぐる(主張を繰り返す)「歴史のピンポン」、卓球のように球をやり取りするようなことはもうやめた方がよいのではないかと思います。結局のところ最終的で、長期的な解決が日本のロシアの利益であることを理解すべきなのです。
もちろん、多くの課題ははあります。まず経済活動の問題もありますし、安全保障の問題もあります。1956(昭和31)年に、ソ連と日本はこの問題の解決に向けて歩み寄っていき、「56年宣言」(日ソ共同宣言)を調印し、批准しました。
この歴史的事実は皆さん知っていることですが、このとき、この地域に関心を持つ米国の当時のダレス国務長官が日本を脅迫したわけです。もし日本が米国の利益を損なうようなことをすれば、沖縄は完全に米国の一部となるという趣旨のことを言ったわけです。
私がなぜこのようなことをお話しするのか。私たちは地域内のすべての国家に対して敬意をもって接するべきであり、それは米国の利益に対しても同様です。これは明白なことです。