稽古を通じ、相手を敬い、仲間とともに人格を高めていくことを教わった。そのことが、不良たちが集う「街の通りから私を引き離してくれた」のだという。
3年前、ラフリン氏が75歳でなくなった。生涯を柔道とともに生き、ロシアに多くの仲間と弟子を作った。葬儀に出席したプーチン氏は深い眠りについたラフリン氏の棺の前に立ち、深くお辞儀をした。感謝の気持ちをまじえ、こんな弔辞を述べた。
「アナトリー・ラフリン氏は屈強で強い意志を持ち、それながらにして聡明で温かい心を持つ人だった。彼は多くの同僚や友、そして弟子たちに敬われ、愛された。彼は真の師範であった」
プーチン氏は日露の絆を太くした
プーチン氏は国内の遊説先でも各地の柔道家たちと会い、胸を貸した。大統領杯国際大会を創設して、代表選手たちの強化にも乗り出した。
2008年には柔道の技を教えるため、自らが主役となった「ウラジーミル・プーチンと柔道を始めよう」の映像教材を制作した。今年7月には、プーチン氏が共同執筆者になっている柔道の教科書がロシア全土の青少年柔道クラブに配られることに決まった。
日本との柔道交流も活発化し、指導のためロシアにも日本の柔道家が訪れる機会が増えた。各地の柔道クラブでは男性だけでなく、多くの女性や子供たちも稽古に通う。道場には日本語のかけ声が響きわたり、生徒たちは簡単な日本語の言葉を覚える。日本は人気の観光地で、聖地である講道館には多くのロシア人柔道家が「巡礼」にやってくる。