小里貞利さんが阪神大震災の担当相に任命されたのは、震災発生から3日後だった。すぐに現地へ飛んだ。未曽有の災害を目の当たりにして、「これは命がけでやらないといかん」と身震いしたという。村山富市首相に「超法規でもやりますよ」と言うと、「人事も予算も任せる」と全権を委任された。
▶まず手を付けなければならないのは、がれきの処理だった。公費負担を即決し、森林法などの手続き、許可を経ずに、六甲山裏や神戸港を集積場に決めた。兵庫県から要望があった3万戸の仮設住宅を4万戸に増やした。建設会社の社長を集めて「土日返上でやってくれ」と頭を下げた。
▶東日本大震災直後に本紙のインタビューに答えている。阪神大震災では自衛隊の出動要請の遅れなどに批判もあったが、復旧・復興への動きは速かった。国難に立ち向かうには、政・官、そして民が力を合わせなければならない。その先頭に立つのは-。遺した教訓を忘れてはいけない。