【湯浅博 全体主義と闘った思想家】独立不羈の男・河合栄治郎(72)後継者編(3-3)(3/4ページ) - 産経ニュース

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湯浅博 全体主義と闘った思想家

独立不羈の男・河合栄治郎(72)後継者編(3-3)

 社会思想研究会が自らの思想を、「民主社会主義」と自認するようになったのは、昭和23年ころからである。『社会思想研究会月報』の第3号に、猪木正道が「戦闘的民主社会主義」と書いたのがきっかけだった。欧米ではすでにこの言葉が一般化していたからである。河合も裁判所への上申書で言及しており、「理想主義と自由主義とを両輪とし、その上に議会主義によって理想社会を実現せんとする河合教授の社会主義が展開されている」(『社会思想研究会の歩み』)。

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 河合とその思想は、巨峰のように高くそびえ、その門下生が広い分野で裾野を形成していた。英国哲学とドイツ思想は関嘉彦、共産主義とロシア革命については猪木正道、そして随筆は江上照彦、教育は音田正巳、時事評論は土屋清と、それぞれ河合の衣鉢を継いでいる(土屋『エコノミスト五十年』)。

 このうち、朝日新聞の論説委員として活躍した土屋は昭和39年、53歳で朝日から産経新聞に移籍した。土屋自身は朝日退社のいきさつの多くを語っていない。社主である村山家との騒動が一段落して、反村山の立場からすれば、出処進退は鮮やかであった。

 ところが、朝日新聞社長だった渡邊誠毅は、土屋をしのぶ追悼集『回想土屋清』への寄稿で、嫌みな一文を載せていた。