【湯浅博 全体主義と闘った思想家】独立不羈の男・河合栄治郎(72)後継者編(3-3)(2/4ページ) - 産経ニュース

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湯浅博 全体主義と闘った思想家

独立不羈の男・河合栄治郎(72)後継者編(3-3)

 研究会出版部から移行した社会思想社は、それまで河合が戦前に出版した個別の書物を復刻していた。しかし、日本の思想史に輝く河合の業績をまとめておかないと散逸してしまうとの危機感から昭和37年に全集の刊行が企画された。問題は資金不足にあった。

全集の発刊

 土屋らは、河合に師事した東京電力社長の木川田一隆を訪ねて、財政上の協力を求めた。木川田が東京帝大に入学した際に、河合の『労働問題研究』を通じて強い影響を受け、自ら「生涯の心の師父」であると任じていた。

 木川田は喜んで応じた。毎月全集1巻の刊行に対して1千万円の資金が提供された。彼は自ら東大出身の企業のトップや有力者に会って、1社から月10万円の資金提供を依頼した。

 これに対し、全集1巻の刊行につき50冊の本が毎回各社に届けられるという仕組みをつくった。土屋らは木川田の熱意と巧みな手法を編み出した手腕に舌を巻いた(土屋『エコノミスト五十年』)。

 木川田は帝大卒業時に、第1志望だった三菱鉱業に行けずに第2志望の東京電燈、いまの東京電力に進んだ。木川田が河合門下であることから、「危険思想の持主として警戒されていた」ことが後に分かった(木川田『私の履歴書』)。