地球外生物がいると本気で信じていたから、私は「お化けがいないのを証明するのは不可能だから信じるよ」と応えた。ジョンは神秘的なものを求めていて、それが神道への関心につながったにちがいない。
ポール来日めぐり大恥かいた
彼の偉大さを知ったのは、1970年のビートルズ解散後で、知り合ってかなり経ってからだ。
70年代の半ばだったか、来日した彼を東京・新橋にあった「ルーブル」というバーに誘ったことがある。うす暗くて狭い店に二十五、六歳くらいの若い男のギター弾きがいて、髪を短く刈っていたジョンに気づかずに私がリクエストした「イマジン」を歌い始め、ジョンがハミングで調子を合わせた。演奏後に「ジョン・レノンだよ」と明かすと、ギター弾きは感動のあまり、子供のように声を上げて泣き始めた。このときに初めて「ジョンはこんなに有り難い存在なのか」と気づかされた。 余談だが、ヨーコからの「お願い」で大恥をかいたこともある。ジョンが撃たれる前、米国から電話がかかってきて、「ポールが日本公演を予定しているみたいだけどビザがおりないそうなの。なんとかしてくれる?」と頼まれたときだ。ポールの薬物犯罪歴を理由に法務省がビザを取り消していたようで、私は当時、官房長官などを歴任した園田直氏と仲が良かったから、「なんとかしてほしい」と頼み、園田氏も即座に関係者に電話で「とにかくビザを出してやってくれ」と働きかけてくれた。それなのに、ポールは成田空港に降りた直後に大麻所持で捕まってしまった。サ行の発音が苦手な園田氏から「カシェくん。ひどい恥をかきました」と責められたものだ。