銀幕裏の声

落下傘・救命胴衣脱ぎ捨てて…護衛なき特攻、被弾した僚機の軍曹は手を振っていた 重爆特攻隊「菊水隊」の真実(下)

 海面スレスレで敵機の攻撃をかわしていた中村さんの機体も被弾し火を噴いた。次の瞬間、操縦席に弾丸が撃ち込まれ、機体は海中に突っ込んでいった。

 「これがそのときの様子です」。中村さんが自ら描いたという一枚の絵を見せてくれた。エンジンから真っ赤な火を噴きながら海面に墜落する直前の重爆。中村さんの乗る2番機だ。

 「海中に投げ出され、無我夢中で泳いでいたら、フィリピンの現地人に助けられたのですが、実は彼らは抗日ゲリラだったんです」

 僚機から投げ出され、島へ泳ぎ着いた仲間の隊員たちは次々とゲリラに銃殺されていったという。何とか生き残った中村さんは、その後、オーストラリアの捕虜収容所へ送られ、そこで終戦を迎えた。

「戸籍がない!」葬式後の帰還

 「特攻出撃の日は私の命日であり、新しい誕生日でもあります」と中村さんは言う。

 この19年12月14日の特攻で中村さんは戦死したと日本へ報告され、翌年5月に葬式が行われていた。

 中村さんが捕虜収容所からようやく日本に帰国できたのは21年4月だった。

 「福島県郡山市の実家にたどり着いた頃はすでに夜。真っ暗な中、家の前の道を歩いていると実家の窓から薄明かりがもれて見えました。すると私の靴音を聞いた母が、『真かいっ!』と叫びながら、家の中から飛び出してきたのです」

 「戦死」と記録された中村さんは陸軍少尉に任官、国から勲章も授与されていた。だが、「私が生還したためこれを取り消すという通知が家に来ました。さらに死亡により戸籍がなくなっていたので死亡通知取り消しの簡単なはがきが1枚、家に届きました」と中村さんは語る。さらに、「これが私の葬式で上官が読んでくれた弔辞です」と、達筆な文字で綴られた長文の弔辞の原文を見せてくれた。

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