スポーツ異聞

駅伝100年 日本人が大好きな「EKIDEN」が海外で浸透しないワケ

【スポーツ異聞】駅伝100年 日本人が大好きな「EKIDEN」が海外で浸透しないワケ
【スポーツ異聞】駅伝100年 日本人が大好きな「EKIDEN」が海外で浸透しないワケ
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 駅伝シーズンの到来である。毎年、全国各地で開催される駅伝は大小100を超えるだろう。タスキを必死につなぐ日本人の駅伝好きがうかがえる。ところが、外来語としても知られる「EKIDEN」は必ずしも英語圏で通じるわけではなく、一流ランナーが集う駅伝が海外で開催されることはまずない。正月の風物詩として定着する箱根駅伝にしても100年近い歴史と伝統とは裏腹に内向きな印象を拭えない。

 日本で初めて駅伝が開催されたのは1917(大正6)年にさかのぼる。京都・東京間の「東海道駅伝徒歩競走」で、ここで「駅伝」という言葉が初めて使われた。約500キロという気が遠くなるような距離を23人のランナーが3日間かけて激走した。

 ゴール地点だった東京・上野の不忍池ほとりに「駅伝の碑」がひっそりと建つ。タスキをかけて走るランナーの記念碑には「駅伝の歴史ここに始まる」と記され、駅伝ランナーの聖地となっている。

 東京・箱根間を往復する箱根駅伝の第1回が開催されたのは3年後の大正9年2月のことだ。翌3月には中等学校の駅伝が行われるなど、大正期にすでに駅伝の礎が築かれた。日本の駅伝普及の立役者となったのが「マラソンの父」といわれた金栗四三(かなぐり・しそう、1891〜1983年)で、「孤独な長距離のトレーニングもチームで行えば効果が上がる」と発案。42.195キロを単独で走破するマラソンとは違う駅伝ならではの魅力を後世に伝えたのである。

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